総合建設業、鋼構造物工事業 - 新潟県上越市

NEWSお知らせ・ブログ

この冬から学ぶこと

この冬は毎日朝から雪掻きに追われている。片、首、腰が痛い。右手は曲げると痛い。もう雪はいらない。疲れました。
今朝(2月12日)も会社の敷地に入れるか内心心配だった。因みに、住まいと会社では気温差が2度ほどある。雪は日によっては倍くらい違う。当然会社の方が多い。敷地内に突っ込んだはいいが、立ち往生することも何度かあった。こんな冬は初めてだ。
どれだけ降ったのか調べてみた。今日現在、高田で84㎝とのこと。そんなものか。拍子抜けだ。
私が記憶に残っている中で一番雪が降ったのは、昭和58年から59,60年と続いた3年豪雪だ。59年は292㎝積もったそうだ。これは高田での最高積雪量とのこと。
確かにこの年帰省した年の瀬、生まれて初めて屋根の雪下ろしをした。直江津で雪下ろしすることはまずない。5分もすると汗が噴き出してくる。きつい。「もういいや」とすぐに顎が上がってしまったものだ。
最近のニュースを見ていると56豪雪(昭和55年12月~56年3月)との比較がされている。この年の高田は251㎝の降雪量だったそうだ。昔は降った。今は昔の1/3程度だ。そう思うと昔の人は逞しい。
だんだんと冬の記憶がよみがえってきた。

小学校5年生から日曜日になると、家からスキーを担いで直江津駅まで歩き、赤倉まで電車に乗ってスキーをしに行った。持っていったおにぎりはカチカチに凍り付いて、食べられなかった。高校は高田だったので、土曜日部活が終わると仲間とスキーを担いで金谷山までスキーをやりに行った。いつも歩いていた。今は重い荷物を担いで、長い距離を歩こうという発想すらしない。
雪が降ってバスや電車が動かなくなると学校へ行かなくていい。嬉しかった。昼頃着いて弁当だけ食べて帰ってきたこともあった。学校には行けたのだが、帰りの交通機関がマヒしたので、途中までスキーを履いて帰ったこともあった。
家の周りは田んぼばかりだったので、吹きっさらし、地吹雪もきつかった。顔に当たると痛い。目は開けていられない。涙が出てくる。そんな中をよく歩いた。時折、新雪にドカッと倒れ込む。冷たくて気持ちいい。じっとしていると、無音の中で「キーン」という耳鳴りがする。目を開く。白い世界が広がる。このままでいると眠ってしまいそうだ。忘れてしまったファンタジーのようだ。
書き出すときりがないからほどほどにする。
何れにしても、子供の頃の思い出は楽しかったことで彩られている。
年齢と共に「冬」、「雪」に対する思いは変ってくる。今は、「苦」、「疲」、「嫌」。でも、昔からみると1/3の量でしかない。いろいろな意味で、この冬が先達の生き方、考え方を学ぶ、倣う、いいきっかけになればと思う。
あと一月もすれば『春』が来る。この地に住む私たちだけに与えられた特権。春になる喜びを誰よりも強く、身体で感じることができる。このことは昔も今も変わらない。

投稿日|2018.02.16 社長ブログ