総合建設業、鋼構造物工事業 - 新潟県上越市

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新時代の幕開けにあたって

 昨夜着たパジャマ。黒色で胸に鳥の刺繍がしてあるもの。妻のもある。赤色で同じように刺繍が施されている。貰ったものだ。誰からって?社員のみなさんから、30年前、平成元年に結婚のお祝いとして頂いたものだ。今でも普通に使わせてもらっている。ありがたい。結婚式を挙げたのが、平成元年5月14日。新元号が施行されるのが、5月1日。パジャマも2つの時代を生きることとなる。
 私にとって「平成」の世は、社会人になった翌年から始まった。
 “Japan As Number One”。日本人であることが誇らしかった。永遠に続くと誰もが思った”バブル景気”。アメリカの誇りだったエンパイヤーステートビルの買収。土地は上がり続けるという根拠の無い土地神話。世界の時価総額ベスト5全てが日本企業。自信と活力に満ちていた。しかし、ある日それが過心となり慢心となった。誰もが制御不能となっていった。狂っていた。
 そして、弾けた。”バブル崩壊”。何もかもが失われた。経済的な損失に留まらない。日本人としての誇りと自信が失われた。
 それからの“失われた20年”。狂気に満ちた時代を知らない40代半ば未満の彼らは、世の中をどのように捉えてきたのだろう?
 私たちの世代。50代前後。バブルを懐かしむも、同じ過ちは犯すまいと慎重になる。どうやって生きていこう?生き方に悩んだ。惑いに惑った40代。でも夢を追い続けることは諦めたくないと思った。今も、現在進行形。
 平成20年9月15日。世の中に薄暮が射しつつあったのに一転、経験したことのない大不況。”リーマンショック”。翌年の8月まで決まっていた仕事が、月末までの2週間で全て失った。
 それは、私を惑いから断ち切る特効薬であった。この道で生きていく。その覚悟を与えてくれた。生き残るための業態変換。『鉄』を主力に切り替えた。賭けだった。でも、きっと上手くいくと信じた。首都圏へのシフト。”アベノミクス効果”が後押しをした。今日までは生き残れた。
 今、社員は80人に迫らんとしている。いつの間にか増えた。無限の可能性を秘めた10代、20代が半数。1人で歩き始めた30代も多い。将来が楽しみな会社になった。
 これからの10年。奇しくも新時代と共に歩みを進める10年。社員のみなさんが安心してこれからも生活していくための基盤造り。そのための人創り。全てを伝えていきたい。受け継いでもらいたい。それが私がこの世に生を受けて生きた、『証』を残すということ。今まで以上にワクワクする愉しい時間となりそうだ。

投稿日|2019.03.18 社長ブログ