思い出は彼方へ
携帯電話が登場してからというもの、時間を確認するという動作を腕時計をみることから携帯電話を見ることに変えさせた。かれこれ20年位腕時計をしていなかったろうか。ところが、最近また腕時計をするようになった。
何故、するようになったのか?とっさの時間確認には携帯電話より、腕時計の方が便利かなと思い、気無しに1、2度していたら日常的にするようになっていた。あればあったでやっぱり重宝だ。
何で腕時計をしなくなったのかなと左手首を見ながら考えてみた。手首にずっしりくるこの重さ。バンドがくるくる回り、文字盤が下に向いた時の肌触りの悪さ。「そうそう、これだよ」。だんだんと記憶が甦ってきた。こうしたことを不快に感じていたこと。携帯電話はそれを解消してくれたこと。だから腕時計をしなくなったこと。
そんな不快感が、今は呼び覚まされた祖父との思い出と共に、私の左手首に納まっている。
私の母方の実家は時計屋をしていた。私はおじいちゃん、おばあちゃん子で、小学校に上がるまで、家には帰らなかった。何でも祖父が買ってくれた。随分甘やかされていた。ディズニーの腕時計、スポーツウォッチ、目覚まし時計等々、子供ながらに周りは時計で溢れていた。
私が学校を卒業した時、お祝いに外国製の腕時計をもらった。とても自分では買えない高価なものだ。せっかくもらったにも拘らず、傷つけてはいけないと思い、しまい込んで、めったに使わないでいた。
最近、腕時計をするようになったことから、ふっと「あの時、おじいちゃんから貰った腕時計は何処にいったかな?そろそろ似合う年頃になっただろう。してみよう。」そう思った。あった。早速電池を入れ替えた。動いた。祖父の顔、子供の頃可愛がって貰っていた頃を思い出させてくれた。ところが、翌日、時間が少し遅れていた。翌日はもっと遅れていた。壊れていた。
思い出は私と一緒に時を刻むことは出来なかった。
苦労の多い人生だった。逝く時は早かった。「おじいちゃん、元気になってまた温泉へ行こうな」と言う私の言葉に、目も開けられない、身体も動かない祖父の目から涙がこぼれたことは、私の頭から離れない。。
世の中高齢社会化が進み、私達の業界も介護・福祉に関連する仕事が増えて来つつある。当社もそういった案件が増えてきた。老人ホーム、ショートスティ、ディサービス、介護リフォーム等々。
「今は若いから関係ないよ」と言うかもしれない。年は取りたくないと思うかもしれない。しかし、人生の歩み=老化の針を止めることは出来ない。人間、いずれはそうした施設のお世話になる時がやって来るのだ。
私は若い頃から、『高齢者問題』に興味があった。家族との絆、社会とのつながり、裏と表、明暗、本音と建前。ご老人、施設の職員さん、関連機関のに方々等に色々なお話を伺ったが、当時から難しい問題だなと感じていた。
あれから25年以上が経ち、仕事をしながら、学生の頃の青臭い理想論と、今直面している現実とのギャップを埋めているところだ。正に自分のこととして。
社内報 2011年9月号-改
投稿日|2013.03.12 社長ブログ