総合建設業、鋼構造物工事業 - 新潟県上越市

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私という人間を作ってくれた場所

 昨日(7/15)、私が卒業した新潟県立高田北城高校の同窓会に出席してきました。4年ぶりの懇親会のある同窓会でした。
 高田北城高校は、1900年創立。もともと高等女学校から始まったこともあり、卒業生は圧倒的に女性が多いです。
 今回の同窓会の参加者も女性の方が多く、7割くらいはいたように感じます。でも、7割になったのです。
 共学になって48年。男性の参加者が随分と多くなりました。共学5期生の先輩までは還暦を超えていらっしゃいます。私も来年はその仲間に入ることになりますが、長い年月とともに、多くの先輩たちが、歴史を引き継ぎながら、新しい高田北城高校を作り上げてきた、そして、漸く社会でも一定の認知がされてきたのだと思いました。『勢い』を感じることができました。
 誤解や批判を恐れずに、いや、受けることを承知して自分の話をします。
 私は、44年前、高田北城高校に入学しました。入学当初は、高田北城高校に入ったことが、嫌で嫌でたまりませんでした。
 その理由はこうです。教育熱心だった親は、私を新潟大学付属小学校・中学校へ入学させました。しかし、興味のある科目はともかく、算数、数学、物理、化学、英語といった科目は大の苦手でした。というより、授業が分からずついていけませんでした。
 また、勉強のできる子が『えらい』という風潮がありました(少なくとも勉強のできる子がやることは、たとえ悪いことをしても、黙認されるよう私には感じられました)から、落ちこぼれの私の中学校生活はとても憂鬱な3年間でした。
 附属中学校から、半分くらいの生徒は地元の進学校である高田高校へ進学します。(今でも高田高校コンプレックスはあります)ですから高田北城高校へ行く子は少数派です。制服を着て、街を歩くこと、高田高校へ進学した同級生と会うこと、人目を避けていた時期もありました。とても恥ずかしかったのです。
 でも、しばらく経ったら気持ちは変わって行きました。私にとって市立中学から入学してきた子たちは、ある意味とても新鮮に感じられました。これも大変失礼な言い方ですが、私とそんなに変わらない、所謂『普通』の子たちだったからです。
 そんな子たちとの3年間は、一言でいうと楽しかったです。何故なら、負い目、引け目を感じずに、自然体で同等同格で付き合うことができたからです。
 高校生活は、(部活『陸上競技部』が中心でしたので、相変わらず勉強はしませんでした。ですから進級はギリギリでした。何とか卒業できましたが)。
 あれからちょうど40年。私は、高田北城高校にしか入れなかったというコンプレックスと、そこで出会った普通の子たちとの出会いが、今日までの私の人間形成の根底にあるものだと思っています。もし間違って高田高校に入っていたら今の私はないでしょう。
 人生の転機、運、出会いとは数奇なものです。今の私は、高田北城高校の卒業生であることを誇りに思い、感謝の気持ちでいっぱいです。
 社員のみなさんは、「社長は自信があるように見えるとか、頭がいい」とか言いますが、大きな勘違いです。落ちこぼれです。コンプレックスの塊です。だから人より少し頑張れるのかもしれません。

投稿日|2023.07.18 社長ブログ