総合建設業、鋼構造物工事業 - 新潟県上越市

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人間は未完成な存在だから…

 『おごれるもの 久しからず ただ 春の夜の 夢のごとし 
 たけきもの ついには滅びぬ ひとえに 風の前の 塵におなじ』
 何度か社内報にも書いている。平家物語の冒頭の語り。
 私は、『おごる平氏』を人生の反面教師として生きてきた。
 しかし、驕らず、高ぶらず、常に謙虚に生きろと自分に言い聞かせていても、落とし穴はある。
 自分では、驕った気はなくとも、高ぶった気はなくとも、謙虚な気持ちを忘れた気はなくとも、落とし穴はある。
 人間は完璧な存在ではない。完璧な人間になりたいと願い、自分に厳しく、自分を律して、生きてきたつもりではあるが、最後まで完璧な存在にはなれない。
 最後まで未完成な存在のまま,終焉を迎える。それが人間。
 こうとも言える。完璧な存在。それは、真にそれは『神様』。
 神様は、完璧な存在である。ということは、何でもできてしまうから、悩み、苦しみ、悲しみを知らない。楽しさ、嬉しさ、喜びを知らない。プロセスの中で、いろいろな感情が入り乱れるなどということは、分からない。
 ということは、それらの感情は、唯一、未完成な存在である『人間』だからこそ味わえる特権。だとしたら、その特権をたくさん使ったほうがいいのか?あまり使わないようにしたほうがいいのか?
 私は言う。私は、自分から何かをやろうとしたことがあまりない。周りの環境が、私に何かをやらせようと仕向けてくる。私は、やらなければならない環境に追いつめられる。
 当然、その時は、悩み、苦しみ、どうやって切り抜けるかを自問自答する。結構時間をかける。ゴールがおぼろげながら見えてくると一気にスタートする。
 一つの問題が解決すると嬉しい。しかし、嬉しいという感情を抱くのは、瞬間だ。また次のやらなければならない課題が用意されている。
 いつまでやるのだろう。
 いつまでもできるものではない。いつまでもできないから、社員に、「君が社長なら、どうする?」と聞くことがある。しかし、社員の口からは、その問い掛けの回答を聞くことはない。何か喋ればいいのにと思う。その『何か』も思いつかないのが、今のレベルなのだろう。
 自分を守ってくれる人がいるのと、いないのとでは大違いである。
 私の問い掛けは、全て自分の責任に於いて、決断し、完結する。そういう存在になる覚悟を持てますか?持ってもらいたいな、持ってみたら、という誘いである。
 今日まで私を取り巻く様々な環境は、私に様々な経験をさせてくれた。その延長線上に、今の私がいる。これからも。私に見込まれて、声を掛けられている君たち。
 もはや私が見ることができないかもしれない世界を見るチャンスがある君たち。私の誘いに乗らない手はない。

投稿日|2023.05.15 社長ブログ