総合建設業、鋼構造物工事業 - 新潟県上越市

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本当の勉強とは?

 どれだけ勉強してきただろう。物心ついた時からのことを辿ってみよう。
 箸と鉛筆は、右手で持てと教えられた。鉛筆は右手で書けるようになったが、箸は治らなかった。では、左手で文字が書けるかというとそれもできない。左利きの人は器用だというが、私に限ってはそうではない。
 幼稚園年長組。小学校に上がるまでにできるようになっておかなければならないこと。1.ナイフで鉛筆を削れるようになっていること。2.蝶結びができるようになっていること。この二つが必須科目だった。鉛筆を削りながら、指も削って痛い思いをしたものだ。手回し式の鉛筆削り機があるにも拘らず。
 遊びの中にも勉強があった。毎日、おむつをしている子供から中学生まで、日が暮れるまで幼稚園の構内で『どろんこ』になって遊んだ。鬼ごっこの際、おむつの子供は捕まえない。捕まえても放してあげる。彼らを『みそっ子』と呼んだ。何故だかは分からないが。彼らも年長者と同じつもりで楽しんでいる。年長者も彼らを仲間の一人として受け入れる器があった。今になって思えば、労わり、優しさ、包容力…。そのようなことを勉強したのだろう。
 学校の勉強は、興味のあることは楽しかった。興味のないことは苦痛だった。学校の多くの勉強は一方的であり、答えは用意されている。1+1は2。これ以外の答えは無い。何故そうなるのかは分からないけれど、言われた通りやれば正答だ。公式に当てはめれば答えが出る。これが学校の勉強。こういうのは、苦手だった。少ないけれど、国語、社会、道徳の中で、自由に自分の考えを述べられる授業があった。そういう勉強は好きだった。
 社会人になってからは色々な資格試験に挑戦した。受験はテクニック。学校の勉強の延長だ。とにかく覚えること。暗記。試験が終わればすっかり頭から消え去っている。果たしてそれは本当の勉強なのか?
 今、55才になって『究極の社内改革・社員教育』の勉強をしている。通常は2年半位かけてやる仕事を1年半でやる。日常業務+『改革・教育』に掛ける時間。当然だが、時間が必要だ。何かに挑戦する時は、何かを犠牲にしなければならない。出社時間は、更に早くなった。休日も会社にいる時間が増えた。初めてチャレンジすることだから分からないことが多い。壁にぶち当たる。心が煮詰まってくる。投げ出したくなる。
 先日、3日間掛けて作った資料が、突如パソコンが壊れて見れなくなった時は胃が痛くなった。しかし、私はやる。何故か?それは自分で決めたことだから。勉強は楽しいと思ったことはあまりない。だけど今回は、意外にやれている。
 リーマンショック時もたくさん勉強した。あの時は、マイナスからの脱出のための勉強。今は、未来を創る勉強。その差は大きい。今までこんなに納得して勉強したことはあっただろうか?遅すぎたのか、そうじゃないのか。何れにしても、この年になって気付かされたことである。まだやれる。

投稿日|2020.05.15 社長ブログ