総合建設業、鋼構造物工事業 - 新潟県上越市

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亡き社員を偲んで

君と最後に飲んだのはいつだったろうか?
去年の手帳を開いた。10月21日 18時半から料亭『S』。Y君、T君、Hさんも一緒だった。そう、ちょっとお疲れ気味の50才のみなさんと飲みに行ったのだ。
Y君は酔いが回り一人喋りに興じ、彼が場を盛り上げてくれた。同世代のみなさんといると目配り、気配りをそれほどすることもなく、楽しく過ごすことができる。
君は私の左隣の席に着いたね。口数は少なく、酒も進まず、食も進まず。
「Yちゃん、少し痩せたんじゃない?」
「わかる?」
「わかるよ 1年くらい前からなんじゃないの 医者で診てもらった方がいいよ」
そんな話をして1か月後の健康診断。その結果を以て急遽入院、手術となった。
君はいつも周りに気を遣っていた。そして、人一倍頑張り屋だった。困っていると助けてくれた。朝は一番に出社。みんなのつなぎの洗濯、掃除、ごみの分別。人がやらないことも率先してやってくれた。まるでお手伝いさんが一人いるようだった。
君は言ったね。「親父が休んでいるところは見たことがない」と。きっと、お父さんの血を引いたんだね。
そうそう。そのことは息子さんにも伝えたよ。「お父さんは、会社でどんな仕事をしていたんですか?」と聞かれた時にね、同じことを話したよ。きっと、親子三代働き者だよ。
入院してから奥さんと話す機会が増えたと言っていたね。色々なことを話したんだろうね。出会い、結婚、出産、子育て、新築…。20年から一緒に暮らしていたんだからネタには事欠かないよね。
君のことは誰にも言わないでくれと言ったね。だから言わなかったよ。正確に言うと、みんなへの伝え方には困ったよ。みんな、なんとなく分かるんだろうね。薄々何かあるなって心配していたよ。たまに情報が洩れてお見舞いに行く人がいたようだね。君は、「もう来るな」って強がって見せていたらしいけれど、「来てくれて嬉しい」とも言っていたじゃない。嬉しいはずさ。
君が祭壇の前で休んでいる時、大勢の社員のみんなが顔を出してくれたよ。ちょっと賑やかになっちゃったけれどね。ごめんね。でも、みんな最後までサトウ産業の仲間でいたかったんだよ。それだけは許して。
7月26日。翌日バイパス手術をするというので、夜、顔を出しに行ったよね。あの日は直江津の花火だった。西の空が真っ赤な夕日に染められて、良い天気。風もなく、花火の打ち上げには絶好の日だった。「こっちからよく見えるよ 特等席だわ 座ってゆっくり見ていればいいよ」北側の控え所に行きながらそんな話をしたね。「8時頃から始まると思うし、帰るね また来るわ 暑いから 送らなくていいよ」
でも、君はいつものように車まで送ってくれた。歩くのもしんどかったのに。
君は、花火を見たのだろうか?君の眼にはどう映ったのだろうか?君は何を思ったのだろうか?私にはそれを知る術はない。
1990年9月21日22才で入社。君の社歴29年目がスタートする2018年9月21日。サトウ産業鉄工部は君が託したD君を中心とする新体制に変ります。
君が28年間過ごしたサトウ産業。28年は重い。君がいたからここまでになれた。本当だよ。今のサトウ産業の姿は、真に君の生きた証だよ。本当にありがとう。
私は、もう少し仕事を続けるわ。君は、これからは自分のことだけ考えていればいいんだよ。一所懸命に生きたんだから、楽しなくちゃね。たまには天国から私たち、何やっているのか見てみてよ。もっともっと大きくなるよ。頑張るよ。君に笑われないようにね。
話が尽きないけれど、いい加減に筆をおくわ。聴いてる君も疲れたろうから。最後の最後にもう一度だけ言うね。君と過ごした日々は決して忘れない。
ほんとうに ほんとうに ありがとう。
合掌

投稿日|2018.09.18 社長ブログ