永年勤続表彰から感じたこと
今年の永年勤続表彰者は、40年表彰が2名。35年表彰が2名。20年表彰が1名と、長い間サトウ産業と共に人生を歩んできた方たちが多かった。高校を新卒で入社された方は、人生の2/3をサトウ産業で過ごしてきたことになる。
毎年のことだか、永年勤続表彰は、私にとって、とても厳粛な気持ちになれる式である。5年表彰だろうが、40年表彰だろうが、その時間に差はあれども、サトウ産業の歴史を作り続けて『きた』、『いる』そして、『いく』仲間達である。
「ご苦労様でした。まだまだこれからも元気で力を貸してください。若い社員を、育てていってください」。「早いもので、もう5年も経ったのか。あの、あどけない顔をしていたこの子が。随分と大人になった。後輩たちの面倒もちゃんと見てくれている頼もしいね」。
色々なことが頭の中を駆け巡る。
私にとって、社員のみなさんは、『かわいい』『いとおしい』存在だ。『守ってあげたい』気持ちにさせる存在だ。昨日まで、『やれる』と思ってやってきた。まだこれからも『やれる』という気持ちでいた。しかし、今日になって、その気持ちに修正を掛けなければならないことに気づかされた。
健康でいられる時間を70歳までと線を引く。そうすると、残りは10年ちょっとしかない。人は誰もが永遠ではない。このことに漸く気付かされた。
だから、今までは、社員のみなさんができないことは、自分でやればいいと、実際自分でやってきた。でもこれからは、社員のみなさんができないことは、やれるようになってもらわないといけない。誰かが、出来ない人のフォローをしなくてはならない。その仕組みを作らなければならない。育てなくてはならない。だから私は真剣だ。という所に行きついた。
今まで言わないでいたことを言い始めた。難しいことを言い始めた。歯に衣着せず、ストレートに言い始めた。だから、社員のみなさんは、戸惑う。「今社長が言っていること、やっていることは、次は、君が言うんだよ、やるんだよ。そのつもりでいてちょうだい」真剣に、承継しようと思ったら、社員のみなさんへ言うことは、かなり厳しいことを言うようになったけれど、私の心はいくぶん『楽になった。気兼ねしなくなった』。もっと早く自分は『できない』ことに気がつけばよかった。
2024年。今年サトウ産業は、創立50周年を迎える。
2024年3月8日の新潟日報に載っていた「節目を迎える県内企業2661社」の記事。サトウ産業が載っていた。
50周年を迎える企業は、418社。記事に名前が載っているのは、サトウ産業を含めて3社。「なんで?」と思う人はいるのかな?偶然ではない、ガラポンではない。必然として掲載して頂いているのだと私は思う。
何度か言っている。サトウ産業は、社員のみなさんが思っている以上に、有名な会社になったということ。皆さんにとっては、それはどうでもいいことかもしれない、残念なことかもしれない。
しかし、私にとっては、自分の生きてきた一つの証として、『誇り』に思う。皆さんと一緒に、50年の時間を掛けて、サトウ産業がそういう会社になったことを、『誇り』に思う。次の新潟日報に載るチャンスは、100周年だ。私がその記事を見るチャンスはないが…。
投稿日|2024.03.16 社長ブログ