総合建設業、鋼構造物工事業 - 新潟県上越市

NEWSお知らせ・ブログ

ロシアとウクライナ 34年の年月を経て思うこと

 私は、ロシアとウクライナ(当時のソ連)へ行ったことがある。
1988年2月。五木寛之著『四季・奈津子』の冒頭の詩を読んでいて、トルコのボスポラス海峡を歩いて渡ってみたくなった。その道中でウクライナを通ったのだ。
 成田空港から中国へ飛び、北京発ソ連モスクワ行、シベリア鉄道を走る蒸気機関車に飛び乗った。中国語もロシア語も全く分からない。英語は少し理解できる。「何とかなるさ」という根拠ない自信を23歳の少年は持っていた。
 当時はソビエト社会主義共和国連邦を構成する国の一つだった。1991年のソ連崩壊を機に独立したわけだが、当時は、米露に次ぐ、世界第3位の核大国だったことはあまり知られていない。
 モスクワからトルコイスタンブールへ行く道中に、1986年に事故を起こしたチェルノブイリ原発の近くを通っていることは、何気に耳に伝わってきた。福島原発事故を言うまでもなく、緊張感を持ったことを思い出す。今回、そこも襲撃されたわけである。
 ロシアと、ベラルーシ(当時は白ロシア)そして、ウクライナは兄弟国家と言われている。なのに、である。人は、いとも簡単に人を殺めることが出来るのだ。人とは、恐ろしい生き物だということを、まざまざと思い知らされる。意見の相違は、何処の社会でも起こりうる。それを分かった上で、お互い尊重しながら成り立っているものが社会だろうに。なのに、である。
 汽車に乗っている間、様々な人種、民族の人たちと出会い、話をした。当たり前であるが、ソ連は、日本と政治体制が異なる。お互いに不信感を持っている。そういう教育を施されているから仕方がない。
 でも、一市民として話してみると、みんな同じ人間であることはすぐに分かる。
 モスクワ大学のボート選手。彼は、ヨーロッパ選手権に出場したとのこと。お互いに『国歌』を歌いあった。ヤロブスカノ大学の女子大生。彼女とは、文学の話をした。ドストエフスキー、チェーホフ、ツルゲーネフ。北杜夫、谷崎潤一郎…。話をしているうちに、お互いを一人の人間として認めあう関係が出来上がってくる。最後に女子大生は、「日本人を誤解していた。悪い人と思っていた」と言った。
 異国の人、思想の異なる人であっても、お互い話せば心は通ずるものである。なのに、何故?
 今回のロシアによるウクライナ侵攻、虐殺行為。本当に心が重くなる。日本は、戦後76年間、この平和を当たり前のように享受してきた。しかし、これは当たり前ではないことを鮮烈に教えてくれた。
 私は皆さんにたまに言うことがある。『毎日が平穏で何事もなかったかのように、1日1日が過ぎていくことがどんなにすばらしいことか。当たり前ではないのだ。』と。
 会社に立ち返ってみればどうだろう。決められたルールを守らないことにより起こる問題。自分のやるべきことをやらないために起こる問題。会社の存続を危うくする事態に至ることも有り得るのだ。最後は社長が何とかしてくれるではない。そうそう奇跡は続かない。
 最終的には、問題発生の全ての原因は、私の能力の無さに起因する。皆さんのせいにしても何の解決にもならない。もう、何十回言ってきたことだろう。とにかく『報・連・相』だ。

投稿日|2022.03.16 社長ブログ